The Night Elvis Presley Cried After a Woman’s Shocking Insult… You Won’t Believe What Happened!
In an unexpected incident that revealed the vulnerable side of Elvis Presley, the King of Rock and Roll faced a harsh insult that left him visibly shaken…
「あの笑顔が忘れられない」石田ゆり子、中山美穂さんとの思い出&秘蔵ショット公開にフォロワー感動「明日が来ることは決して当たり前じゃない」「素敵なエピソード」
女優の石田ゆり子が自身のインスタグラムを更新。今月6日に亡くなった中山美穂さんとの2ショット写真と思い出を投稿し、多くの反響が寄せられている。 石田は2ショット写真とともに「美穂さん、と最初は呼んでいた。私にとって中山美穂さんは、うまく言えないけど自分には絶対にない、何かを飛び越えたところにいる人だった。同じ年なのに、会うたびに緊張したし、でもなんだかドキドキしたのだ。出会う人みんなを吸い込んでしまうような、そんな魅力を持ったひと」と、中山さんの印象を振り返っている。 つづけて「サヨナライツカという映画で私たちはとても対照的な女性像を演じた。美穂ちゃんの演じる沓子と私の演じる光子がホテルの部屋で対峙するシーンがあった。あのときの美穂さんの感情の揺れ、昂り、涙が目の奥に焼きついている。本当に、魅力的だった。何年か前、小さくて素敵なフレンチレストランでばったりあった時美穂ちゃんは、1人で颯爽とやってきて、私をみつけて、ゆりちゃん、と小さな声で言ってにっこり笑った。あの笑顔が忘れられないのです。ほんとうに綺麗な笑顔でした。みぽりん,心の中でそう呼んでます。残念です。早すぎます」と、共演した映画「サヨナライツカ」での中山の演技に魅了されたこと、フレンチレストランで再会した思い出などをつづり、突然の死を悼んだ。 「明日が来ることは決して当たり前じゃない」 この投稿に「まさかこんな日が来るなんて思いもしませんでした。人生どうなるかなんて誰にもわからない、明日が来ることは決して当たり前じゃないんだと改めて痛感しています⋯」「魅力的な歌手、女優さんでした。訃報の知らせに驚き、悲しいです…」「私も同じ年月を生きてきて残念でなりません。同じ年、同年代、ただそれだけで勝手に親しみを感じていただけに悲しい知らせでした」「素敵な 想い出が沢山あったんですね」「素敵なエピソード」などのコメントが寄せられている。
中山美穂さんの悲劇で注目の「ヒートショック」対策 断熱ジャーナリストは「3LDKマンションなら20万円台で可能」補助金でほぼ半額に
12月6日に日本を駆け巡った突然の悲しい知らせ。女優で歌手の中山美穂さんが54歳で急逝したのである。事務所の発表によれば、死因は「入浴中に起きた不慮の事故」だという。“事故”の詳しい内容は明らかになっていないが、SNSでは「ヒートショック」が関係しているのでは、という投稿も相次いだ。 12月6日の東京の最低気温は5.2℃ ヒートショックとは、急激な血圧の変動が引き起こす体の不調のことで、重篤なケースでは失神や心筋梗塞、脳梗塞により、命にかかわることもある。 特に風呂場で起きやすいと言われているが、その理由は“温度差”にある。冬の日本では暖房の効いたリビングと、無暖房の脱衣所やトイレとの温度差が全国平均で15℃もあるというのだ。暖かいリビングから寒い脱衣所に移動し、さらに服を脱ぐことで血圧が急上昇。そして今度は熱い湯船に浸かった途端、血圧が一気に下がるというメカニズムだ。 暖かいリビングから寒い脱衣所に移動し、服を脱ぐと血圧が急上昇 この急激な血圧の上昇・下降の繰り返しが、脳や心臓、血管にダメージを与えることで、失神や心筋梗塞、脳梗塞を引き起こしてしまうのである。また、水の張られた浴槽内で意識を失った場合には、溺死の危険性もある。ヒートショックは死に直結する非常に恐ろしい現象なのだ。 中山さんの訃報が報じられた12月6日の東京の最低気温は5.2℃で、前日の8.9℃から一気に下がっていた。先週末から急激に冷え込んだ関東地方では、風呂場で寒い思いをした人も多かったのだろう。中山さんの訃報を聞き、「ヒートショック」を連想した人が多くいたことも頷ける。 ところで、ヒートショックを引き起こす住宅内の“温度差”は、日本の住宅性能に起因する「特有の問題」であることはご存じだろうか。 日本の住宅は国際的な基準では無断熱に近い 日本の住宅性能に詳しいノンフィクションライターで、『「断熱」が日本を救う』(集英社新書)の著作のある高橋真樹氏は、“断熱ジャーナリスト”としても活動している。高橋氏は、 「中山さんの死因と直接の関係があるかは分かりませんが」 と断った上で、このように指摘する。 「消費者庁の統計によると、住宅のお風呂で溺死する65歳以上の高齢者は、年間に約5000人いるとされます。また別の推計では、入浴中に倒れて他の疾病で亡くなる方は、年間に約1万7000人にのぼるとも言われます。全国の交通事故の死亡者数は2022年で2610人。この推計値で比較すると、6倍以上になります。そして、その大きな要因となっているのが、日本の住宅の断熱性能の低さなのです」(高橋氏) というのも2022年4月まで、日本の断熱性能は1~4の4段階評価で、「開口部に複層ガラスを用いる」と規定される「4」が最高等級と位置付けられてきたが、 「実は2023年の時点で、既存住宅5000万戸のうち、最高等級4の基準を満たしている住居はわずかに13%しかありません。しかも、その等級4の基準自体、国際的に見ると極めて低い断熱性能なのです」(同) 国も問題意識は持っており、この「断熱性能基準」は、2022年に5~7が新設され、全7段階となった。さらに2025年4月からは新たに建築される住戸すべてが等級4の条件を満たすことが義務付けられることになった。 「大きな前進ではあるものの、対象はあくまで4月以降に建てられる新築ですから、既存住宅の断熱性能とは関係がありません」(同) アルミサッシの窓は“最悪” WHO(世界保健機関)は、「住宅と健康ガイドライン」の中で、寒さから健康を守るための最低室温の基準を18℃と設定している。基準の参考元となったイギリス保健省の調査では、室温が18℃未満では血圧上昇や循環器系疾患に影響し、16℃未満では呼吸器系疾患に繋がるとの結果も報告されているという。 「日本の最低室温については、断熱改修を予定している住宅の約9割で室温が18℃を下回っているという測定結果もあります。日本では多くの家がWHOの基準を満たしておらず、国際レベルでは“違法建築”とも呼べる状況となっているのです」(高橋氏) なぜ日本の住宅はこれほどまでに“寒い”のか。 「断熱材が敷設されているかどうかなど、色々な要因があるのですが、1番分かりやすいのが“窓”です。住宅が外気温の影響を受ける割合は、戸建てで約5割、マンションでも3~4割は窓による影響と考えていいでしょう」(同) 戸建ての方が影響が大きいのは、窓が大きく、数も多くなりがちだからだ。また、日本の住宅で特に窓が問題とされるのは、その材質と構造に理由がある。 「住宅の中でもっとも熱が出入りする、窓やドアなどの開口部からは、夏は74%の熱が侵入し、冬は50%の熱が出て行ってしまいます。日本の窓で問題なのは、いまだに多くの住宅でアルミサッシが採用されていること。欧米で使われる樹脂製や木製の窓枠と比較し、アルミサッシの熱伝導率は1200倍にもなります。実は、冬に気温が下がる先進国でアルミサッシが重用されているのは日本だけなのです」(同) ちなみに、中山美穂さんの住居は70平米ほどのマンションだったと言われているが、リノベーションで壁をなくした「吹き抜け構造」だったとも報じられている。 「吹き抜け構造の住居の場合、特に暖房効率が悪くなりますので、断熱性能が高くないと、部屋全体が寒くなりやすいということは言えると思います」(同) 意外とお手頃な「内窓追加」…
中山美穂さんの主演作「眠れぬ森」に再び注目…長らく再放送がなかった”背景”と絶頂期のキムタクを求める声
6日に亡くなった歌手で女優の中山美穂さん(享年54)の名曲や出演作に注目が集まっている。名作は数えきれないが、SNSではとくに1995年公開の映画『Love Letter』と98年にフジテレビ系で放送された中山さんと俳優のキムタクこと木村拓哉(52)が主演のドラマ『眠れる森』を思い返す声が多い。 当時、国民的グループSMAPのキムタクにとっては、2000年に歌手の工藤静香(54)と結婚直前で、独身アイドルとして人気絶頂期だった。 《中山美穂の美しさは当然として、キムタクが第1期の黄金期だし、ユースケサンタマリアがまだ踊るくらいしか出てない頃だし、あと本上まなみかわいい》《あの当時、ドラマつけたら美穂ちゃんとキムタクだった…》《ミポリンの美貌と、大人気だったキムタクと、竹内まりやの曲。神ドラマ》――。 「20代だった主演2人の美しいビジュアルに加え、故・野沢尚氏が脚本の15年前の一家殺害事件が絡む重いミステリードラマ。最終回の考察を含めた衝撃作となりました。この作品でミステリーにハマったという人も多く、ラブストーリーではないキムタクの演技も注目。ファンからは《絶頂期のキムタクが見られる》《キムタクが一番格好よかったドラマ》と評されるほど。人気作ながら、長い間地上波での再放送がなかったことから、2000年に実際に起きた一家殺害事件とシンクロされるなど憶測が流れました。それが昨年4月に再放送され、今年10月にもFOD・TVerの企画で無料公開されて話題になって、改めて作品に注目が集まっていたタイミングでした。中山さんの訃報を受けて、また地上波で再放送してほしいとの声が散見されます」(芸能ライター) また、《キムタクが工藤静香と結婚した時に「中山美穂だったら許せるのに…」って言っていた人がたくさんいた》《確か、眠れる森の頃、キムタクの結婚報道があって、相手は中山美穂さんだろうなー、って、勝手に思ってました》などと”理想のカップル”と捉えた人も多かった。 「多くの共演者や親しい友人が中山さんにコメントを寄せていて、同期デビューでキムタクの妻・工藤さんもファンクラブサイトで悲しみの声を表明していました。妻の気持ちを思いやってか、6日以降もキムタクのインスタグラムは”通常運転”のままのため、ファンからは心情を察し心配する声が出ています」(前出) FODでは現在1話無料配信中。思い出に浸るファンは多そうだ。 西田敏行さんの訃報にはコメントを寄せていたが?●関連記事【もっと読む】無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議…に詳しい。
「一日祈っていた」中山美穂さん急逝で元夫・辻仁成氏ににじむ消沈…離別息子との「最後のお別れ」にも寄せられる心配
12月6日に急逝した、歌手で女優の中山美穂さん。世間が悲しみに暮れるなか、元夫・辻仁成氏や、辻と暮らす息子にも、心配の目が向けられている。 「この日、中山さんは大阪市内でクリスマスコンサートを開催予定でした。しかし、待ち合わせに現れず、事務所スタッフが自宅に向かったところ、浴槽で中山さんを発見したそうです。すぐにスタッフが通報し、死亡が確認されました。事務所サイドは、検死の結果をうけ『死因は入浴中に起きた不慮の事故』と公表しています」(芸能記者) 中山さんは、2002年に辻氏と結婚し、翌年にフランス・パリに移住。2004年に長男が誕生するも、2014年には辻氏と離婚に至った。 「親権は辻氏が持つことになり、当時は中山さんに激しいバッシングが集まりました。辻氏との離婚協議中に、音楽家との密会が報じられたことで、『恋愛のために子供を捨てた』という批判が寄せられる事態になったのです。 それでも、中山さんは息子さんへ変わらぬ愛情を寄せており、2014年の雑誌『美ST』(10月号)で《一番に願うのは息子の幸せ。寂しい思いをさせてしまったことは、毎日胸が痛みます》と語っています。 2015年には、自身のTwitter(現X)で《無論いちばん会いたいのは息子》《息子に色々買ってきたんだけど最近は直接渡せず。仕方ないね。お父さんとなかよくね》と、胸中をつづったこともありました(現在は削除済)」(芸能記者) 互いに複雑な思いを抱いていたようで、辻氏は自身のブログ「JINSEI STORIES」にて、離婚をめぐる家族の話は「長らく辻家でタブーだった」と繰り返しつづっている。 2020年8月11日のブログでは、12歳だった息子に離婚のいきさつを語ったことがあったが、息子が「ぼくの前で一切そのことは言わないで、ぼくは必死で我慢しているんだ」と、ものすごい形相で怒ったことを明かしている。 離婚から約10年たち、息子は20歳になった。だが、中山さんはあまりに早く逝ってしまった。辻氏は、毎日更新してきた自身のブログを、1日あけて8日に更新。 《某月某日、不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。そして、息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ》とつづった。 また1日あいた10日のブログでは《何も食べていなかったことに気が付き、やはり、こういう時にこそ、きちんと料理をして、ちゃんと食べないといけない、と思った》として、辻流のカルボナーラの作り方を紹介。《一つ一つ、一日一日、丁寧に丁寧に、食事と向き合い、手を合わせて、頂きます、をしていこう。美味しいと思うことが、人生には必要なのです》ともつづった。 辻氏の文章には消沈がにじむ。そんななか、Xでは、息子と中山さんの「最後の対面」が実現するかどうか、気にかける声も少なくない。 《息子さん 最期のお別れした方が良いと思います。 怒りをぶつけるでも構わないから。 あとで後悔しない選択を。》 《御夫婦でいろいろあっても息子さんにとっては母親ですからね。複雑でしょうね…》 《フランスの息子さん、不憫。離婚も辛かったと思うけれど、またこんなふうに突然のお別れとは。》 《息子も頑張っているので、そっとそっと、見守ってやって頂けると、まじで、父ちゃんは嬉しいのである》ともつづった辻氏。一人息子は、いまなにを思うのか――。
《私には帰る場所がない》ライブ前の入浴中に突然…中山美穂さん(享年54)が母子家庭で過ごした知られざる幼少期「台所の砂糖を食べて空腹をしのいだ」
あまりに突然の出来事だった──12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。 所属事務所は12月8日、中山さんの公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました」と発表し、死因は「入浴中の不慮の事故」と伝えた。 1980年代半ばから90年代にかけ“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんだが、生前、幼少期のエピソードについてはあまり語らなかったとされている。【前後編の前編】 そんな彼女も、2012年の自著『なぜなら やさしいまちが あったから』(集英社文庫)で自身の幼少期や家族について赤裸々に綴っていた。その中には、当時の暮らしぶりを表したような一節がある。 〈はじめましてとさようならはいつもセットだった──〉 “別れ”の連続だった幼少期 さかのぼること1970年3月、中山さんは長野県の自然豊かな町で生まれた。ある芸能記者は言う。 「ご両親は地元でスナックを経営されていたようです。中山さんが3歳の頃におふたりは離婚しており、彼女には実父の記憶がほとんどないといいます。その後は実母と妹で女優の中山忍さん(51)と東京へ引っ越しましたが、母子家庭のためか生活が苦しく、中山さんは台所の砂糖を食べて空腹をしのいだこともあったそう。 上京してほどなくお母さんが昼夜問わず働き詰めになり、ほとんどの時間を親戚の自宅で過ごすことになりました。 芸能界については幼稚園に入るころからすでに憧れがあったようで、親戚の家では段ボールの上に乗って『キャンディーズ』や『ピンク・レディー』の曲を歌っていたこともあったとか」 のちに中山さんはこの親戚を、トーク番組『A-Studio』(TBS系)で“育ての親”だと述べている。なかでも叔父にあたる男性については「本当の父親のように家族の一員として接してくれました」と語っており、忙しい母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようだ。 そんな“第2の父”ともいえる男性だが、中山さんの世話をしている間に若くして亡くなってしまう。幼少期の短い間で二度も“父親”を失う体験をした中山美穂さんは、前出の自著でもその存在と自身の恋愛観を重ねてこう振り返っていた。 〈思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた〉 この失望から束の間、中山さんにとって大きな出来事が起きる。 「中山さんが10歳くらいの頃、お母さんが秋田県出身の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。1982年にはその義父との間に弟も生まれており、その頃の中山さんは子どもながらに『寂しいけど、長女だからしっかりしないと』と感じていたようです。 また両親の仕事の関係で、都内で何度も引っ越しを繰り返していたことから友人と呼べる人がほとんどいなかったともいいます。連載をしていた女性誌のエッセイでは、当時の生活を『帰る場所がなかった』というふうに語ったこともありました」
中山美穂さんの大ヒット映画『love Letter』を創った映画プロデューサー、河井真也さんが綴った追悼の言葉
12月6日、都内の自宅で亡くなられた俳優・歌手の中山美穂さんについて、映画担当プロデューサーだった、河井真也さんは、岩井俊二監督の劇場版長編映画第1作品の映画『love Letter』で、中山美穂さんを主演に抜擢した当時を振り返りながら、その死を悼んだ。7日深夜、函館映画祭の審査員をつとめる河井真也さんから函館のホテルから追悼の言葉がとどいた。 ……映画『波の数だけ抱きしめて』が終わった後、暫くして相談された。滅多にそんなことは言わない彼女が、言葉を振り絞って『私の代表作と言える映画を創ってほしい』と。 『水の旅人』の主題歌のレコーディングの為に彼女と、作曲をしてもらった久石譲さんと一緒にロンドンへ行った。初めての作詞もしてもらった。タクシーの中でも、彼女は言葉を選びながら詩を書いた。歌手でアイドルとしてのトップランナーの中山美穂と、一方で女優の顔をそこで存分にみた気がした。 日本に戻り、その時、長編デビュー映画『Love Letter』を一緒に準備していた岩井俊二監督に「中山美穂」を持ちかけた。脚本や岩井監督の深夜ドラマのVHSを渡したが、何も読まず、見ずに彼女は出演を決めた。おそらくロンドンで話している時に決意していたのであろう。自分のために考えてくれた映画に賭けてみよう、と。 30年前の12月、雪の小樽ロケ終盤。彼女は『ずっとこの時間が続いてほしい』と。そして岩井俊二×中山美穂の『Love Letter』はブルーリボン賞主演女優賞など多数獲得した。韓国、中国はじめ海外でも大ヒットした。 彼女は言った。「私のこの10年は『Love Letter』に出会うためにあった」 そう言ってもらえる映画を共に出来たことに感謝し、この映画を世界中の人に見続けてもらうことで、美穂ちゃんを忘れないことを約束する。…… なお、コモレバWEBマガジンの2024年1月24日発信した河井真也さんの連載の第9回「私を映画に連れてって!」では、中山美穂さんが『love Letter』の主演に抜擢した舞台裏から女優賞を総なめにした経緯などにも触れている。 ▲1993年の大林宣彦監督映画『水の旅人 侍KIDS』の主題歌「あなたになら…」(作曲は久石譲)のレコーディングはロンドンのタウンスタジオで実施された。その際の中山美穂と筆者のプライベート・ショット。この頃、中山美穂から、「自分が将来、親になったとき、子供に『こんな映画に出ていたのよ!』と言えるような映画に出たい」と言われた筆者。気持は常に内に秘めている中山美穂だっただけに、気持を振り絞って言ってくれたことでグッときたという。ロンドンでのこの時間が無ければ、『Love Letter』は、安田成美か、鈴木保奈美で撮影されていたかもしれない。岩井俊二監督のリストにあがっていた2人である。やはり、すべては巡り合わせなのである。 第9回【私を映画に連れてって!】岩井俊二監督劇場長編映画第1作『Love Letter』で、中山美穂は多数の女優賞に輝いた
アイドルが本当にアイドルだった最後の芸能人…「中山美穂、303」だけで当時のOLはその口紅に群がった
1985年のドラマデビューから、歌手、女優として瞬く間にスターダムを駆け上がり、世代を超えて愛された中山美穂さん。とくに1990年代になってからは、同年代の女性たちにとっては唯一無二の憧れの存在だった。と同時に、アイドルがアイドルとして「らしく」機能していた最後のひとりでもあった。女性誌の現場に長く携わった本誌記者が哀悼の意をこめて振り返る。 中山美穂が表紙というだけで雑誌の発行部数を積んだ時代 そのタレントを表紙に起用する際には、それだけで発行部数を積む時代があった。 記者が女性ファッション誌の編集現場にいた90年代はまさにそんなとき。 山口智子、浜崎あゆみ、安室奈美恵……そして「中山美穂」も間違いなくそうした女性タレントのひとりだった。 90年代の中山美穂さんの活躍は、それまでのアイドル歌手的活動から、女優と歌手の絶妙なバランスをとったものへと変化し、大躍進となった。 1990年10月のいわゆる“月9”ドラマ「すてきな片想い」(主題歌『愛してるっていわない!』)に始まり、翌1991年10月、こちらも月9の「逢いたい時にあなたはいない…」(主題歌『遠い街のどこかで…』)、さらに翌1992年10月は新設の水曜劇場で「誰かが彼女を愛してる」(主題歌『世界中の誰よりきっと』中山美穂&WANDS名義)、1994年1月のTBS系ドラマ「もしも願いが叶うなら」(主題歌『ただ泣きたくなるの』)と、主演するドラマと歌った主題歌をともに大ヒットさせていった。 うち『世界中の〜』と『ただ泣きたくなるの』はともにミリオンだ。 女優、歌手としてこれほどの実績を築きあげるかたわら、中山美穂さんがこのころにもうひとつかちとったものがある。同世代の女性からの、それも当時でいうところの「OL」からの圧倒的支持と憧れだ。 「中山美穂、303」に世の女性は魅せられた もともと中山美穂さんは、同性からの人気が高い女性アイドルだった。 デビューが早く、ティーンを描いたドラマに出ていたというのもあるが、1987年の主演ドラマ「ママはアイドル!」(主題歌『「派手!!!」』)では、ドラマの中で「アイドルの中山美穂」を演じ、その作中での愛称ミポリンが実際の愛称としても定着するほどの大ヒットとなったのも、ひとつのきっかけだろう。 アイドルに憧れる小中学生の女の子たちはこぞって「ミポリン」に夢を見て、このころから中山美穂さんのコンサートには女性客が増えていったという。 中山美穂さんが女性ファンを魅了する要素のひとつに圧倒的な顔立ちの美しさ、というのはもちろんある。 けれど1990年代に入ってからの中山美穂さんのOL人気というのはちょっとすさまじいものがあった。 当時の人気ぶりが伝わるエピソードが、化粧品ブランド、コーセーの口紅のキャラクターモデルを務めたときのものだ。 1997年に誕生したドゥ・セーズ フリーディスのコピーはこうだ。 「中山美穂、303」 当時のポスターを見ると、シックなベージュの口紅をまとったとびきり美しい中山美穂さんの右下にデカデカと「303」と書かれている。「中山美穂、」より全然大きく記されている。もっというなら、商品名はとても小さい。 これを受けてコーセーの化粧品売り場には「303、ください」というOLたちが殺到したのだという。 当時、1本3000円もする口紅をろくにお試しもせず、番号で指名買い。 あとにもさきにもこの「303」ほどのPR効果を私は知らない。 なにしろ、今でも番号が記憶に残っているくらいだ。それも「中山美穂、」とセットで。 そのくらい、インパクトのある中山美穂効果だった。 ちなみにこのベージュトーンの口紅「303」はなかなかにスタイリッシュな大人ベージュで、決して一般受けするようなピンクやコーラルではない。 だからこそ、「中山美穂になりたい」「中山美穂が好き」な女性たちに「なれるかも」と思わせたのかもしれない。
辻仁成氏、元妻・中山美穂さん葬儀の日にブログ更新「今日はずっと…」長男は約10年ぶりの対面
6日に東京都渋谷区の自宅浴室で死亡した状態で発見された女優で歌手・中山美穂さん(享年54)の葬儀・告別式が12日、都内の斎場で営まれた。元夫でミュージシャン、作家・辻仁成氏(65)は同日に自身のブログを更新していた。 美穂さんは辻氏と02年に結婚し、パリへ移住。04年に長男が誕生した。周囲に「かわいくて仕方がない」「子供の笑顔を見ると幸せ」などと愛情を周囲に語っていた。だが、14年に離婚。親権は辻氏が持ち、美穂さんは離婚後、約10年間長男と会っていなかった。 その一人息子が訃報を聞き、パリから駆け付け、母親と最後の時を過ごした。12日の葬儀には参列しなかったが、遺体が安置されていた自宅で無言の対面をしていた。 喪主を務めた美穂さんの妹で女優・中山忍は「何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした」とコメントを発表していた。 同日にブログを更新した辻氏は「某月某日、今日はずっと海を見ていた」と切り出す。「ノルマンディの曇り空を眺めながら、油絵を何枚か描いた。(何枚か、というのは、スケッチのような、ラフな下書きのようなもの、完成には程遠いもの)空と海の境目のあまりはっきりとしないあたりを眺めているのが落ち着くのだった」などとつづっていた。 また「寒かったが、夜は窓をあけ、浜辺を見て過ごした。12月のノルマンディは寒い。人っ子一人歩いていない。白波が、綺麗であった。寄せては返す波の、四重奏のごとき音を聞きながら、心の平均律を保った」とし「それでも人生はつづく」と結んでいた。
高橋一生が尾野真千子と婚約破棄となった衝撃の真相に言葉を失う…結婚を発表した高橋一生の元カノの魔性の交友癖、婚約目前で大激怒の絶縁関係に至った背景が…【芸能】
高橋一生と尾野真千子の婚約破棄の真相が明らかになりました。二人はかつて、ドラマ「カーネーション」や「名前をなくした女神」で共演し、親しい関係にあったとされています。特に、「カーネーション」のヒロインとして尾野が注目を浴びる中、二人の交際は順調に見えましたが、思わぬ展開が待ち受けていました。 尾野真千子は、女優として数々の賞を受賞し、キャリアを築いてきました。しかし、彼女の私生活には波乱があり、特に恋愛関係では「共演者キラー」との異名を持つほどの騒動があったのです。高橋一生との交際は真剣で、結婚も視野に入れていたと言われていましたが、2011年に発覚したお笑いタレントとの不倫疑惑が二人の関係を揺るがしました。 尾野は、ドラマ「カーネーション」で共演した星田秀俊と親密な関係にあったとされ、SNSでは仲の良さをアピールしていました。しかし、星田が既婚者であったため、この関係は不倫とされ、世間を騒がせました。この報道が高橋との関係にも影響を及ぼし、婚約破棄に至ったと考えられています。 高橋は婚約破棄の理由として、尾野が女優として重要な時期であったことを挙げていますが、実際には不倫報道が大きな要因とされています。尾野はその後、2015年に他の男性と結婚するも、2017年に離婚。2021年には一般人男性との再婚を果たしました。 現在、二人はそれぞれの道を歩んでいますが、今後共演する機会があるのか注目されます。この一連の騒動は、業界内でも大きな話題となっており、今後の展開にも関心が集まっています。