VERPASSEN SIE NICHT DIESE 8 FRÜHEN ANZEICHEN VON KREBS – ES KÖNNTE IHR LEBEN RETTEN!

In Deutschland erkrankt jeder dritte Mensch im Laufe seines Lebens an Krebs, und leider werden viele Diagnosen zu spät gestellt, da die ersten Warnsymptome oft nicht erkannt werden. Experten betonen, dass die Früherkennung von Krebs im Anfangsstadium die Überlebenschancen erheblich verbessert – bei vielen bösartigen Tumoren liegt diese Wahrscheinlichkeit über 90%. Wird der Krebs hingegen erst im vierten Stadium diagnostiziert, sinkt die Überlebensrate auf unter 20%.   In einem aktuellen Video werden acht frühe Warnzeichen vorgestellt, die Lebensrettung bedeuten können. Diese Symptome sind oft subtil und können leicht übersehen werden. Es ist wichtig, sich bewusst zu machen, dass nicht jede kleine Veränderung sofort Anlass zur Sorge gibt, doch das rechtzeitige Erkennen kann entscheidend sein.   Zu den ersten Anzeichen gehört anhaltendes Sodbrennen. Während gelegentliches Sodbrennen häufig vorkommt, kann chronisches Sodbrennen auf ernsthafte Erkrankungen wie Speiseröhrenkrebs hindeuten. Ein weiteres Warnsignal ist unerklärlicher Nachtschweiß, der in Kombination mit Fieber und Gewichtsverlust auf ein Lymphom hindeuten kann.   Gelbsucht, sichtbar durch einen Gelbstich der Haut oder Augen, ist ein weiteres ernstes Zeichen, das auf Leber- oder Bauchspeicheldrüsenkrebs hinweisen kann. Auch wiederkehrende Knochenschmerzen, besonders wenn sie sich mit der Zeit verschlimmern, sollten nicht ignoriert werden, da sie auf Metastasen oder primären Knochenkrebs hindeuten können.   Hautausschläge, insbesondere petechiale Flecken, können auf Leukämie hinweisen, während anhaltendes Fieber oft ein Zeichen für bösartige Blutkrankheiten ist. Diese Symptome sind ernst zu nehmen, und ein frühzeitiger Arztbesuch kann in vielen Fällen lebensrettend sein.   Das Ignorieren dieser Warnzeichen kann fatale Folgen haben. Es ist entscheidend, auf den eigenen Körper zu hören und bei Bedenken sofort medizinische Hilfe in Anspruch zu nehmen.

井上真央、「裏では彼氏って呼んでいます」と佐藤健との関係が発覚し「花男は叶わなかったか」「松潤負けたのか…」

俳優の井上真央、佐藤健、松山ケンイチが7日、都内で行われたドラマ『100万回 言えばよかった』(TBS系/1月13日より毎週金曜22時)の制作発表会見に共に出席しました。このドラマは脚本家・安達奈緒子が手がける、完全オリジナルの“切なくて温かい”ファンタジーラブストーリーで、主人公の相馬悠依役を井上真央が演じ、魂だけになっても悠依をそばで見守る鳥野直木役を佐藤健、そして死の真相を追う刑事でありながら、直木の唯一の媒介者として悠依に関わっていく魚住譲役を松山ケンイチが演じます。 井上真央は役作りについて、「自分の内にある女の子らしい、ピュアな部分を必死に探して引き出している、そんな日々です」と語りました。そして、見えない恋人とのラブストーリーに初挑戦することについて、「おもしろさも難しさも毎日感じています」と感慨深く話しました。 一方、佐藤健は幽霊の役柄について、「制約が多くて大変なんですよ」と明かし、「幽霊のときのルールを監督と話し合いました。」と述べました。  

“배우 최성희였다니”… 부산 신혼부부 실종 사건 아내 정체 밝혀지자 모두 충격받았다

부산에서 있었던 신혼부부 실종 사건의 주인공이 연극배우 최성희라는 사실이 밝혀지며 모두 충격을 받았습니다.   부산 신혼부부 실종 아내 최성희   2024년 12월 16일 방송된 tvN ‘이 말을 꼭 하고 싶었어요’(이하 이말꼭)에는 8년째 풀리지 않는 신혼부부 실종 미스터리 사건이 다뤄졌는데 부산에 거주했던 신혼부부는 지난 2016년 집으로 귀가한 이후 자취를 감추었습니다. 집으로 귀가하는 모습은 엘리베이터 CCTV에 찍혔지만 나오는 모습은 어디에도 찍히지 않았습니다. 이날 이후 신혼부부는 증발하듯 사라졌고 현재까지 어디에서도 흔적을 찾을 수 없었습니다.   사라진 신혼부부의 아내는 연극배우 최성희였습니다. 그녀의 나이는 실종 당시 나이는 34세였는데 어머니에 의하면 어릴 때부터 끼가 넘쳤습니다. 출연자 이상엽은 최성희가 극단에 들어가자마자 두각을 드러냈다고 설명했습니다. 실제 최성희가 극단 생활 당시 촬영했던 연극 무대 영상이 공개되었고 통통 튀는 연기가 눈길을 끌었는데 최성희는 당시 신인상까지 받을 정도로 주목받았습니다.   승승장구하던 딸은 어느 날 결혼하고 싶다는 남자를 부모님께 데려왔고 결혼 후 신혼을 보낼 즈음 부모님과 연락이 두절되고 말았습니다. 걱정이 된 부모님은 최성희의 집을 찾아갔고 그곳에서 홀로 남은 반려견과 두 사람이 급하게 떠난 흔적이 발견됐습니다. 차도 두고 가 이상함을 느낀 부모님은 곧바로 경찰서로 향했다고 전했습니다.   무려 70여 명이 동원되어 아파트 CCTV를 확인했지만 신혼부부의 행적은 어디서도 발견되지 않았습니다. 아파트 내에 있을 가능성도 두고 집집마다 조사를 하거나 혈흔, 물탱크까지 뒤져봤지만 아무것도 찾지 못했습니다. 그런 와중에 용의자는 남편의 전 여자친구로 꼽혀 궁금증을 자아냈습니다.   한편 부부가 살던 아파트는 지어진 지 오래된 아파트지만 총 22개의 CCTV가 있었는데 이 중 아파트 비상계단 입구에 있는 CCTV는 줌이 되지 않고 화질이 좋지 않아 밤에 움직일 경우 찍히지 않았습니다. 부부가 만약 나갔다면 이 루트를 이용해 아파트를 나간 것으로 보이는 상황인데 의문인 점은 상당히 복잡한 CCTV의 사각지대 동선을 어떻게 해서 알아냈는지, 단지 우연인지, 또 왜 이렇게 복잡하게 나갔어야만 했는지였습니다.   이렇게 의문만 남긴채 부산 신혼부부 실종 사건은 8년째 여전한 미스테리로 남고 있는 상황입니다.

中山美穂さんが2、3か月に1回通った笹塚の焼き肉店「にくる」店長が悼む…「最後に絶対頼んでくれる」すだち冷麺

中山さんが生前通っていた東京・笹塚の焼き肉店「にくる」の店長・伊藤信太郎さん(44)が7日、スポーツ報知の取材に応じた。 同店を訪れるようになったのは、もともと常連だったという妹・中山忍の紹介。「美穂さんは2、3か月に1回ぐらいのペースでいらっしゃる。いつもライブのバンドのメンバーや忍さんと一緒に来てくれて、みんなのリーダーみたいな感じでいつも気さくで楽しく過ごしてくれていました」と振り返る。仲間との会話を楽しみながらレバーやホルモン、赤身肉、野菜とバランスよく食べていたそうで「最後に絶対すだちの冷麺を頼んでくれていました」。22年に出演したTBSの「人生最高レストラン」でもこの冷麺を紹介していた。 悲報は知人からの電話で知った。「ホンマかな?とぼう然としました。昨日の晩、帰ってテレビを見て(自宅を訪れた)忍さんの涙を見たときはちょっと耐えられなかったです。テレビのニュースはちょっと冷静に見られない」とショックを隠せない様子だ。 かねて、コンサートや舞台の際には中山さんからのリクエストで弁当を差し入れることもあったという。「先日持っていったとき(時間の都合で)会えなかった。今思えばもうちょっと待って会っておけば…」と後悔の念を口にする。「美穂さんは僕にとって異次元のスターで、忍さんのおかげで身近に感じさせてもらえた。感謝していますし、だからこそ最後に会えなかったのが本当につらいですね」と言葉少なに話した。

岩佐真悠子、芸能界引退後初公の場 介護職として週5で働く日々明かす「すごく充実した毎日」

元俳優で現介護職員の岩佐真悠子、介護タレントの西田美歩が14日、都内で行われた『芸能界から介護職へ』公開トークイベントに登場した。2020年に芸能界を引退後初めて公の場に登場した岩佐は、今回4年ぶりのイベント出演となり現在介護職として週5で働く日々を語った。 岩佐は、『ミスマガジン2003』に選ばれて芸能界デビューを果たし、『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』や『ギャルサー』、『メイちゃんの執事』などのドラマ出演をはじめ、映画やグラビア、バラエティーなど17年間の芸能生活で幅広く活躍した。 介護のトータルケアカンパニーの「土屋」が主催する同イベントに登場した岩佐は芸能界引退後、介護職へ転身するも周囲から「本当にやっているのか」と聞かれることが多いといい「本当にやってます(笑)」と改めて伝えた。 この決断のきっかけとなったのは『ミスマガジン2003』の同期で、めざましテレビのリポーターとして知られた西田の存在。もともと今後について悩んでいた芸能界での仕事について、コロナ禍で改めて自分の人生を見つめ直した際、盟友でもある西田がしていた介護に魅力を感じ、自身も介護の道を志すことを決意したそう。 芸能界引退後すぐは派遣として介護の現場で働き、デイサービスなどいくつかの現場を経て、今はパートとして老人ホームで働いているという岩佐。初めての現場では何一つわからず苦労したそうだが今は「楽しい」と笑顔で話す。芸能界での経験も今に生きているといい「声が通りやすいので、耳が遠い方にも聞き取ってもらいやすい。あと表情も大きいのでマスクの上からでも感情が伝わりやすい」と話しつつ「でもそのおかげでしわも増えました(笑)」と笑わせる場面も。 真摯に介護の仕事と向き合い「私たちが当たり前にできることを、皆さんもできるように少しお手伝いをさせていただくお仕事だと思います。担当する方が笑顔になったりすると『よっしゃ!』って思える。すごく充実した毎日を送っています」と日々の思いを話す。 今後について聞かれると「自分が介護される側になるまで、何らかの形で(介護に)関わっていたい」といい、「介護を受ける側、介護をする側、双方ともに楽しく心地よくできる環境をつくるための何かしらのお手伝いがしたい」と介護にかける思いを語った。

中山美穂さんと同期「85年組」の森口博子 あふれる涙「ちょっと信じられない」 

女優で歌手の中山美穂さんが6日、都内の自宅浴室で死亡しているのが見つかった。同じ1985年デビューで同期となる歌手の森口博子(56)は、生放送のラジオ番組で涙ながらに追悼。早すぎる旅立ちに、悲しみが広がった。  あふれる涙をこらえることはできなかった。BAYFM「KISS&SMILE」に生出演した森口は、放送中盤に「同期で同じレコード会社の(中山)美穂ちゃんが…亡くなってしまったというニュースが入ってきて、ちょっと私も信じられないというか」と中山さんの訃報にふれた。  続けて「ちょっと私も信じられないというか動揺しているというか、え~何でという気持ちでいっぱいです」と話していたが、次第に涙声に。そして「あまりにも突然で、私も気持ちの整理が…生放送なんですけど(整理が)つかなくて」と言葉を詰まらせた。  生放送中に突然入ってきた訃報。森口は「ラジオを聴いている皆さんも驚いていると思うので、まずは気持ちを落ち着けて、ラジオの前の皆さんと今ある時間を進めていきたい」と自らに言い聞かせるように語った。それでも「ただただ、美穂ちゃん、どうしちゃったんだろうという気持ちでいっぱいです」とぼうぜんと語り「私たちは50代。本当に、突然何が起こるか分からない年齢になってきました。美穂ちゃん、54歳。まだまだ若いです」と悔やんだ。そして「私の中で気持ちを通わせて、後でゆっくり美穂ちゃんとは私の中でお話しさせていただきたい」と悲痛な声で語った。  中山さんと森口の他、85年には多くの才能がアイドルデビュー。中森明菜、小泉今日子、松本伊代ら「82年組」と呼ばれた世代に負けない豊作の年と言われた。中山さん、浅香唯、おニャン子クラブの工藤静香、南野陽子は「女性アイドル四天王」とも呼ばれ、その他にも斉藤由貴、井森美幸、石野陽子など現在も活躍を続ける同期は多い。仲間たちも大きなショックを受けており、大西結花の所属事務所関係者は「大変憔悴(しょうすい)しており、言葉がない状態です」と様子を語った。 © 株式会社神戸新聞社

中山美穂さん「愛する息子と、再会の時間」 妹・中山忍が紹介「手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は…」

6日に亡くなった俳優・歌手の中山美穂さんの葬儀を執り行ったと、所属事務所が12日に公式サイトで発表した。併せて、喪主で中山さんの妹・中山忍のコメントが紹介された。  忍は「姉を愛してくださったすべての皆様へ」とし、「おかげさまをもちまして、姉『中山美穂』の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。親族の希望で家族葬とさせていただきました」と報告。「最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした」としみじみつづった。 「お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした」などと記した。 同事務所は「本日、青空が広がる清々しい天候の中、中山美穂の火葬を無事に終えました。葬儀は家族と事務所関係者のみで執り行われました」と報告。「祭壇には、優しいピンクや清らかな白、明るい黄色の花々に加え、深紅のダリアがひときわ印象的に飾られ、美穂さんの情熱的で華やかな一面を思い起こさせるようでした」とつづった。 「会場全体が色鮮やかな花々に包まれ、生前の作品や思い出の写真とともに、彼女の功績を皆で称える時間となりました。穏やかな雰囲気の中、故人を見送ることができましたのも、報道関係者の皆さまやファンの皆さまがご配慮くださり、静かに見守っていただいたおかげです。心より感謝申し上げます」と記した。

中山美穂が「85年組」で頭ひとつ抜けた理由と「アイドルの早世」が浮き彫りにした光と影

1985年は新人アイドルの当たり年だった。 2月デビューの斉藤由貴が「卒業」で飛び出し、芳本美代子や松本典子、本田美奈子がこれに続き、7月にはおニャン子クラブがデビュー、そのなかから河合その子とうしろゆびさされ組が年内にブレークを果たした。6月には南野陽子や浅香唯もデビュー、南野は翌年、浅香は翌々年にトップアイドルとなる。また、翌年におニャン子に入った工藤静香も、翌々年にソロとして飛躍を遂げた。 そんななか、勝ち頭といえる存在が、12月6日に、54歳で亡くなった中山美穂さんだ。 同年1〜3月期のドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系)で彗星のように現れ、6月に初主演ドラマ「夏・体験物語」(TBS系)の主題歌でもある『「C」』で歌手デビュー。エッセー集「なぜなら やさしいまちが あったから」(集英社)には、幼少期のこんな思い出がつづられている。 「70年代の大人びた歌謡曲を歌うことがなにより楽しかったため、歌手になると豪語してところ構わず歌っていた私は、無理だから静かにしなさいとよく制された」 その夢がかなったわけで、85年の大みそかには日本レコード大賞の最優秀新人賞も受賞する。この年、彼女の陣営は基本、賞レースに不参加だったが、レコ大の後援と放送が女優として縁の深いTBSというのもあって、これのみ参戦。いちばん大きな賞を、いわば一本釣りしたわけだ。 これにキレたのが、それまで数多くの新人賞を取ってきた本田。その夜は荒れまくったことを、10年後に取材した際、本人の口からも聞くことができた。 ただ「歌手・中山美穂」は翌年以降、最優秀新人賞にふさわしい快進撃を見せる。86年8月の「ツイてるねノッてるね」がオリコンで自己最高の3位を記録。その後、92年10月の「世界中の誰よりきっと」(中山美穂 & WANDS名義)まで、19作連続でベスト3以内をキープした。 94年の「ただ泣きたくなるの」では自身8作目の1位を獲得。また、96年の「未来へのプレゼント」(中山美穂 with MAYO名義)が6位を記録したことにより、デビュー年から12年間、ベスト10以内に作品を送り続けることとなった。 そのあいだ、音楽シーンの主流は歌謡曲からJポップへと移行。その変化に最もうまく対応した歌手でもある。 中山美穂さん ■主題歌と出演ドラマを両方ヒットさせる では、彼女はなぜそれほどの成功を収めることができたのか。 理由のひとつめは「女優型」のアイドルだったことだ。 70年代前半から80年代前半にかけて、アイドルの主戦場は歌番組。ドラマや映画、バラエティーにも出たが、メインは3カ月単位で新曲を出す歌手としての活動だった。70年代に女優としてもヒット作を連発した山口百恵はむしろ例外的存在といえる。 そんな歌手メインのアイドルがしだいに飽きられ、80年代には女優業にも重きを置くアイドルが目立ち始める。薬師丸ひろ子や原田知世、そして、中山美穂や斉藤由貴、南野陽子である。この人たちは歌唱力だけでなく、歌のヒロインを演じているかのような表現力、いわば「女優力」によって、歌手メインの活動だった松田聖子や中森明菜にはない魅力を醸し出した。アイドルが飽和状態となるなか、それは大きな武器となったのだ。 特に中山は、主演するドラマや映画の主題歌を自ら歌ってどちらもヒットさせるという離れ業を次々と成功させていく。すでに各メディアが報じているように、その複雑な生い立ちもあいまって、80年代版の百恵みたいな存在だった。 一方、前出の本田美奈子は演技が苦手だと公言、歌手一本でトップを目指した。過激なセクシー路線で一定の成果はあげたものの、もし70年代に生まれていたら、岩崎宏美のような正統派のポップス歌手としてもっと上にいけたのではないか。 そして、ふたつめの理由は音楽的嗜好だ。 幼少期「70年代の大人びた歌謡曲」に夢中だった中山は、やがて洋楽も聴くようになり、特に米国のR&B歌手、ボビー・ブラウンに心酔した。この嗜好が筒美京平や竹内まりや、小室哲哉、角松敏生といった作曲家が生み出す洋楽っぽいサウンドにうまくハマったといえる。好きこそものの上手なれ、というやつだ。さらに、彼女の華やかな容姿や艶っぽい声質もそのサウンドとの相性が抜群だった。 昭和のアイドルとして世に出ながら、平成のJポップにも対応できたのはそこが大きい。その最大の成果が、Jポップ草創期を象徴するビーイングが手がけるWANDSとコラボした「世界中の誰よりきっと」だったわけだ。…

中山美穂さん葬儀 妹・忍はこらえきれず涙「忘れないでいてあげて」 参列者ももらい泣き

6日に東京都渋谷区の自宅浴室で死亡した状態で発見された女優で歌手の中山美穂さん(享年54)の葬儀・告別式が12日、都内の斎場で営まれた。妹で女優の中山忍(51)が喪主を務め、家族と事務所関係者ら約30人が参列した。 祭壇には美穂さんが好きだった深紅のダリアなど、色とりどりの花が敷き詰められ、デビュー曲『「C」』やシングル39作全てのCDや思い出の写真が飾られた。中央には、最後のステージとなった今月1日のビルボード横浜で歌う美穂さんの遺影。お気に入りのドレスをまとった一枚だ。 関係者は「忍さんが最後に喪主のあいさつをしました。それまでは気丈に振る舞っていましたが、こらえていた涙があふれ出て言葉に詰まっていました。その様子に参列者はみんなもらい泣きしていました」と明かした。 最愛の姉を見送った忍は同日夕、美穂さんの公式サイトで「姉を愛してくださったすべての皆様へ」と題したコメントを発表。姉との思い出などを振り返り「その声を、その歌声を、その指先を、忘れないでいてあげてください」と呼びかけた。 所属事務所によると、来年にお別れの会が開かれる予定。多くのファンが集まりそうだ。 【中山忍の発表された談話】 「姉を愛してくださったすべての皆様へ」 おかげさまをもちまして、姉「中山美穂」の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。 親族の希望で家族葬とさせていただきました。 最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏(まと)い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。 お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。 そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋(つな)ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。 静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。 姉は一生懸命な人でした。 ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っ直(す)ぐ前を向く勇気がある人でした。 自慢の姉でした。どうか皆さま、姉のとびきりの笑顔を空を見上げたその声を、その歌声を、その指先を、忘れないでいてあげてください。 私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です。 これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。見守ってくださいましたら幸いです。 良いときも悪いときも別れ際に姉はいつも「じゃあ、忍、あとはよろしくね」と軽やかに笑って去っていきました。最後の最後まで、、、。とても「姉らしい」と思われてなりません。 生前の姉へ、あたたかな眼差(まなざ)しと、愛情をかけてくださり、心から感謝しております。 重ねて御礼申し上げます。皆さま、本当にありがとうございました。 感謝の気持ちを込めて。

中山美穂さん事務所が全国ツアー中止を発表「払い戻し手続きをお願い申し上げます」

今月6日に急逝した女優で歌手の中山美穂さん(享年54)の公式サイトが13日に更新。全国ツアーの中止と払い戻し手続きについて告知した。 公式サイトで「来年開催を予定しておりました『2025年全国ツアー Miho Nakayama 40th Anniversary Concert Tour‐Un‐』は、すべての公演を中止させていただくこととなりました」と報告があった。 続けて、「ご来場を楽しみにお待ちいただいていたお客様には、多大なるご迷惑とご心痛をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます」と謝罪。チケット購入者に対して「払い戻し手続きをしていただきますようお願い申し上げます」と呼び掛けた。FCチケット先行で入手した場合は払い戻し期間が今月18日から来年1月31日までとなっている。 中山さんは6日に入浴中の不慮の事故で亡くなっていた。12日に葬儀が営まれ、妹の中山忍が喪主を務めていた。