「突然たくさん連絡が来て、恐らく美穂の訃報の件だと思ったんですけど、あまりのショックに放心状態で…」
こう語るのは、 6日に都内の自宅で死亡しているのが見つかった中山美穂さん(54)を発掘した所属事務所ビッグアップル創業者の山中則男氏。この日は大阪市内でクリスマスコンサート2公演が予定されていた中山さん。待ち合わせ場所に来なかったため、所属事務所関係者らが自宅を訪問し、浴室で動かなくなった中山さんを見つけ、駆け付けた医師らによって死亡が確認された。同日昼過ぎに訃報を聞いた“育ての親”は動揺のあまり言葉を失っていたというが、7日朝、山中氏が日刊ゲンダイの取材に応じてくれた。
14歳の時、1985年放送のTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビューした中山さん。思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマだったが、刺激的なシーンやセリフも見事に演じきった。
「この時代に放送したら、それこそ『不適切にもほどがある!』とSNSで拡散されそうなぶっ飛んだ内容でしたね。当時も大手事務所ならお断りするような過激な内容だったと思いますが、彼女も私もこれからの立場だったので喜んで仕事をお引き受けました。それでも、美穂はそれまで満足に演技のレッスンを受けたことがなく、ほぼぶっつけ本番の状態。しかも、まだ中学生なのにあの内容でしょう。さらに撮影は朝から晩まで…。TBS緑山スタジオに泊まり込んでぶっ通しですよ。現場で思わず美穂が泣き出したなんて話も聞きました。それでも彼女は根性が座っていて、“イヤだ”“辛い”と泣き言やワガママを言って我々を困らせたことは一度もありませんでした」
このドラマで大沢徹役で共演した木村一八(55)は6日、訃報を受け所属事務所を通じて《中山美穂さんの突然のご逝去を知り、言葉にならないほどの悲しみに包まれています。慣れないドラマの撮影を皆んなで励まし合いながら乗り越え笑い合った出来事が昨日のことのように思い出されます。どうか安らかにお休みください》とコメントを寄せた。
■オーディションに落ちまくっても諦めなかった
「美穂のデビュー当時は石川秀美や堀ちえみみたいな優しい印象がする“タヌキ顔”が主流で、眼力の強い“猫顔”はあまりウケなかったんです。だから、『毎度おさわがせします』が決まるまでにはそれこそオーディションには何度も落ちまくっていました。それでも本人が決してデビューを諦めなかったのは、“お父さん、お母さんに立派な家を建ててあげたい”という明確な目標があったからでした。事務所に入る時、涙ながらに彼女にそう言われて私も心を打たれました。実際、しばらくして美穂は都内に親御さんに家を建ててあげています。とても芯の強い、親孝行のお嬢さんでした。“育ての親”なんて言って貰えて私は今も感謝しています。彼女はとても大切な宝物でした」