“Tバックの女王”として一世風靡し、セクシー女優からタレントに転向後、女性からも愛された故・飯島愛さん(享年36)が謎の死を遂げて、12月17日で15年が経過する。20年3月29日に新型コロナウィルスの感染による肺炎で急死した国民的コメディアンの故・志村けんさん(享年70)とも親しいことで知られた飯島さんは、08年12月24日のクリスマスイブの日に東京・渋谷の自宅マンションで遺体となって発見された。36歳の若さだった。
死後、1週間経っていた孤独死。遺書がなかったことからさまざまな死亡原因が飛び交ったが、警察が行政解剖したが死因は特定できず、警視庁は肺炎と発表した。
「飯島さんは07年に体調を崩して、芸能界を引退。その後、芸能界復帰も噂されていただけに、飯島さんの死は芸能界を激震させました」(芸能ライター)
飯島さんは亡くなる1カ月前まで、東京・六本木「赤枝六本木診療所」の2階に住んでいた。飯島さんの主治医だった赤枝恒雄院長は飯島さんの死後、女性週刊誌の取材に「非常に精神的に追い詰められていた」と語っている。
「04年に体調を崩した飯島さんは当時、所属していた『ワタナベエンターテイメント』から赤枝院長を紹介され、死後、疑われた難病について、赤枝院長が自ら3回も検査したが噂された病気ではなかったことを明らかにしました。赤枝院長は飯島さんが精神的に追い詰められていたことは知っていましたが、その原因については把握していなかったようです」(女性週刊誌記者)
■第一発見者は健康茶販売会社の男
飯島さんと生前親しかった番組制作会社プロデューサーはこう話す。
「飯島さんの遺体の第一発見者だった男性は、飯島さんと金銭トラブルがあったと噂されました。その男は飯島さんがやろうとしていた大人のおもちゃ屋の出資者で、現在、ドバイで優雅に暮らしていると聞いています」
志村さんと飯島さんの共通の友人でもあるこのプロデューサーは、「この男性は稀代の詐欺師と呼ばれ、志村さんのパトロンという触れ込みで、飯島さんに接近。飯島さんの孤独死に大きく関与しているといわれています」と言う。
飯島さんは07年3月に「トマトジュースみたいな尿が出る」と体調不良を訴えて、芸能界を引退するも、その後、個人事務所のマネジャーだった人物が事務所の金を横領。その頃に前出のプロデューサーが紹介されたのが第一発見者の男性だったとのこと。
「この男性は健康茶販売会社をやっていて、その会社の広告塔が志村さんでした。志村さんに5000万円もするロールスロイスをプレゼントしたと吹聴してましたが、実際は金がないと志村さんに泣きついて、5000万円融資させたんです」(前出・芸能ライター)
その男性は人材派遣会社の買収劇の際も暗躍し、濡れ手に多額の資金を手にしたと噂されるほか、さまざまな詐欺まがいのビジネスへの関与で名前があがっている。前出のプロデューサーは、「男性が行きつけにしていた都内の焼き肉屋に行ったところ、今年に入って来ていないと聞きました。飯島さんの名誉のために言いますが、Aと飯島さんは男女の仲ではなかったことは断言できます」と言う。
男性ファンを魅了し、人気タレントとして成功した飯島さんのご冥福を改めて祈りたい。
(本多圭/芸能ジャーナリスト)