1985年のドラマデビューから、歌手、女優として瞬く間にスターダムを駆け上がり、世代を超えて愛された中山美穂さん。とくに1990年代になってからは、同年代の女性たちにとっては唯一無二の憧れの存在だった。と同時に、アイドルがアイドルとして「らしく」機能していた最後のひとりでもあった。女性誌の現場に長く携わった本誌記者が哀悼の意をこめて振り返る。
中山美穂が表紙というだけで雑誌の発行部数を積んだ時代
そのタレントを表紙に起用する際には、それだけで発行部数を積む時代があった。
記者が女性ファッション誌の編集現場にいた90年代はまさにそんなとき。
山口智子、浜崎あゆみ、安室奈美恵……そして「中山美穂」も間違いなくそうした女性タレントのひとりだった。
90年代の中山美穂さんの活躍は、それまでのアイドル歌手的活動から、女優と歌手の絶妙なバランスをとったものへと変化し、大躍進となった。
1990年10月のいわゆる“月9”ドラマ「すてきな片想い」(主題歌『愛してるっていわない!』)に始まり、翌1991年10月、こちらも月9の「逢いたい時にあなたはいない…」(主題歌『遠い街のどこかで…』)、さらに翌1992年10月は新設の水曜劇場で「誰かが彼女を愛してる」(主題歌『世界中の誰よりきっと』中山美穂&WANDS名義)、1994年1月のTBS系ドラマ「もしも願いが叶うなら」(主題歌『ただ泣きたくなるの』)と、主演するドラマと歌った主題歌をともに大ヒットさせていった。
うち『世界中の〜』と『ただ泣きたくなるの』はともにミリオンだ。
女優、歌手としてこれほどの実績を築きあげるかたわら、中山美穂さんがこのころにもうひとつかちとったものがある。同世代の女性からの、それも当時でいうところの「OL」からの圧倒的支持と憧れだ。
「中山美穂、303」に世の女性は魅せられた
もともと中山美穂さんは、同性からの人気が高い女性アイドルだった。
デビューが早く、ティーンを描いたドラマに出ていたというのもあるが、1987年の主演ドラマ「ママはアイドル!」(主題歌『「派手!!!」』)では、ドラマの中で「アイドルの中山美穂」を演じ、その作中での愛称ミポリンが実際の愛称としても定着するほどの大ヒットとなったのも、ひとつのきっかけだろう。
アイドルに憧れる小中学生の女の子たちはこぞって「ミポリン」に夢を見て、このころから中山美穂さんのコンサートには女性客が増えていったという。
中山美穂さんが女性ファンを魅了する要素のひとつに圧倒的な顔立ちの美しさ、というのはもちろんある。
けれど1990年代に入ってからの中山美穂さんのOL人気というのはちょっとすさまじいものがあった。
当時の人気ぶりが伝わるエピソードが、化粧品ブランド、コーセーの口紅のキャラクターモデルを務めたときのものだ。
1997年に誕生したドゥ・セーズ フリーディスのコピーはこうだ。
「中山美穂、303」
当時のポスターを見ると、シックなベージュの口紅をまとったとびきり美しい中山美穂さんの右下にデカデカと「303」と書かれている。「中山美穂、」より全然大きく記されている。もっというなら、商品名はとても小さい。
これを受けてコーセーの化粧品売り場には「303、ください」というOLたちが殺到したのだという。
当時、1本3000円もする口紅をろくにお試しもせず、番号で指名買い。
あとにもさきにもこの「303」ほどのPR効果を私は知らない。
なにしろ、今でも番号が記憶に残っているくらいだ。それも「中山美穂、」とセットで。
そのくらい、インパクトのある中山美穂効果だった。
ちなみにこのベージュトーンの口紅「303」はなかなかにスタイリッシュな大人ベージュで、決して一般受けするようなピンクやコーラルではない。
だからこそ、「中山美穂になりたい」「中山美穂が好き」な女性たちに「なれるかも」と思わせたのかもしれない。